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![]() ![]() "水産翁"鈴木善幸名誉会長逝く |
大水の鈴木善幸名誉会長が7月19日午後9時14分、肺炎で死去した。享年93才。通夜は21日、密葬は22日正午からいずれも東京・南青山の長谷寺で執り行われた。喪主は長男で衆院議員の俊一氏。
鈴木氏は昭和55年7月、急逝した大平正芳氏の後を受けて第70代の首相に就任した。「漁村の再興」を信念として水産業の振興に大きな足跡を残し、昭和51年に農林大臣に就任すると同時に当面する200海里対策に取組み、52年には3度にわたる訪ソの結果、日ソ漁業の新たな枠組みを構築するなど、北洋漁業の安定に貢献した。沿岸漁業の活性化にも大きな力を発揮し、水産資源や環境保護をアピールするため毎年各県で行われる「豊かな海づくり大会」の発足にもかかわった。 大水との関係では、昭和10年に水産講習所を卒業後大水に奉職、当時の伊谷以知二郎会長の秘書を努めた。12年には全漁連の前身となった全国漁業組合協会に転じている。その後22年4月の衆議院選挙において社会党公認で岩手1区から立候補し初当選、政界への第一歩を踏み出した。こうした水産業への数々の貢献を称え、平成14年の大水120周年記念式典で「水産翁」の称号が贈られた。 中須勇雄会長は鈴木名誉会長の逝去について「水産を生涯のライフワークとし、公職を整理される中でも大水の名誉会長は最後まで続けるとおっしゃっていただけに、残念でならない。これからは鈴木先生のご指導はいただけないが、先生のご遺志に応え、水産業発展のために努力してまいります」と哀悼の意を表した。 なお、22日に行われた密葬には中曽根康弘元総理をはじめ政界はもとより水産業界関係者など千人を超す参列者あり、鈴木名誉会長の冥福を祈った。また、親族を代表して鈴木俊一衆院議員が以下の通り挨拶した。 いずれ公式に党と鈴木家の合同葬をと考え本日は内輪の葬儀にしていたにも拘らず、酷暑の中これほど多くの方にご参列いただき厚く御礼申し上げる。父は明治44年1月に岩手県山田町で生をうけ、明治の人らしく頑張り屋で辛抱強く、口数も少ない上パフォーマンスも苦手という生粋の明治人であった 昭和22年の総選挙で初当選し、当時は戦後間もなくで全国的にもそうだったが岩手県も疲弊していて、漁業再興のためには"政治の力が必要"と感じ、以後この思いを原点に政治活動を続けてきた。平成2年の総選挙に当たり80才を機に政界から引退したが、引退しても90を過ぎるまで事務所に出て求められれば意見を述べるなど、終始政治に関心を持ち続けた。私も父の引退後政治の道に入り、最後まで心配のかけどうしだったが、父が第一次池田内閣で郵政大臣になった年令と同じ年令に大臣になったことを大変喜んでくれた。 今年4月に体調を崩して入退院を繰り返し、7月19日午後9時14分93才で永眠した。思えば19日は海の記念日で海を愛し、水産を振興してきた父にとって大きな因縁を感じる。父の人生を振返ると、男子の本懐を遂げたと言えるが、これには多くの方々の厚情があったからで、今後も私たちとりわけ一人残された母に同様の厚情をお願いしたい。 |