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大日本水産会
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米国環境保護団体、リクリエーション漁業団体による
反商業漁業行動について

(ICFA 2001年次会議 米国水産協会代表による報告)
日本鰹鮪漁業協同組合連合会

1970年の第1回「地球の日(アースデー)」以降、米国は多岐にわたる環境新法を制定した。その中には、大気清浄法、水質清浄法、海産哺乳類保護法、絶滅危惧種保護法、国内漁業法、国内環境政策法などがあり、連邦政府の活動が環境に及ぼす潜在的な影響評価の実施を求めている。また、環境保護庁や米国国家海洋漁業局も設立された。

訴訟が盛んとなり、環境防衛基金、天然資源防衛基金、シエラ・クラブ弁護基金、全米野生生物連盟、全米オーデュボン協会は、積極的な法的活動を展開した。これらの団体は、ダム、原子力発電所、高速道路などのプロジェクトを阻止した。また、規制当局者に働きかけ、まぐろ漁で混獲されるイルカやえび漁で混獲されるウミガメの頭数を削減させた。このように、1970年代、1980年代における勝訴は、米国における現代の環境運動の礎となっている。

絶滅危惧種保護法に顕著なように、期限や手続きに関する要件を厳密に定める法律もある。このような命令は、これらの法が裁判で勝訴した環境団体に弁護士費用の支払いを認めるという事実もあって、訴訟ラッシュに発展するに至った。現在、漁業規制に関する漁業アジェンダをめぐって係争中の訴訟は120件を超え、議会が漁業庁に昨年割り当てた応訴費用は3000万ドルを上回った。

しかし、訴訟によって利益が縮減すると確信する活動家もいる。このような団体は、市場のインセンティブを利用して変化を起こす方法を模索し始めている。これによって、個別漁獲割当の使用を支持するようになった者もいれば、環境のレッテル貼りや乱獲とみられる魚に対する消費者ボイコットを推進するようになった者もいる。グリーンピースのような強硬派団体は、このような団体が自らの主義に妥協していると非難している。

環境保護団体の数と規模は、とくに過去5年間で著しく拡大するに至った。1970年では、米国の環境保護組織は200程度であった。現在、その数は8000組織を超えている。1970年には、漁業問題だけに焦点を当てた団体は存在しなかった。現在では、海洋保全センター、SeaWeb、海洋保護ネットワークなどの数団体が存在する。その他にも、積極的な漁業プログラムを展開する組織は100を超える。このような団体は、ワシントンD.C.に100人以上の専門スタッフを擁し、漁業問題に年間6000万ドル以上を費やしている。

環境保護団体は、ピュー・チャリタブル・トラスツ、パッカード・アンド・マンソン基金などの財団から多額の資金提供を受け、日常の漁業管理に参加できるようになっている。例えば、漁業管理評議会の会合に5から10の環境保護団体の代表が出席することは珍しくない。彼らは割当を破棄し、戦略を練り、討議するために頻繁に会合している。環境保護団体の代表者らは、現在、重要な諮問パネルや漁業管理評議会の委員に任命されており、漁業庁の職員にも雇用されている。

しかし、このような団体の最大の成果は、議会に働きかけ、個々の漁業管理の法的枠組みを変更させたことである。これは1996年の出来事であり、この年、議会は一連の手続きの変更を制定した。このような変更の最終的な効果として、証明責任のシフトが生じた。変更以前は、漁業規則に実害があることを証明するのは環境団体の責任であった。しかし、現在、漁業規則に実害のないことを証明するのは政府水産当局の責任となっている。

その結果、環境保護団体は訴訟を通じて、議会と政府水産当局に対してますます多くの政策要求をつきつけている。訴訟によって漁獲割当が削減され、漁業者や水産加工業者が漁業からどんどん締め出され、水産業の政治的権力がいっそう弱体化している。

現在、これらの団体は以下のような重要問題を対象として、訴訟、消費者ボイコット、マスコミ運動、ロビー活動を展開している。
  • 保護海域の設定
    フロリダ、ハワイ、カリフォルニア、バージン諸島沿岸で、「原生水域」つまり漁業禁止水域が設定されている。活動家らは、設定水域は700万平方マイルを超えると豪語する。州政府、連邦政府ともに設定水域の拡大を検討中である。米国領海200海里の少なくとも20パーセントを禁漁水域とすることがその目的である。
  • 漁具の禁止
    いわゆる「破壊的な漁具」に対する反対運動は、流し網漁業が広範囲で行われた1980年代に始まった。それ以降、はえ縄、刺し網、トロール網、底引き網、大型トロール網に対する反対運動が起こった。
  • 種の保護
    個々の資源を絶滅危惧種として保護し、複数種の漁業では、あらゆる種を高水準で保持しなければならないという声が高まっている。
  • 生態系の保護
    環境保護団体は、漁業ではなく生態系を管理すべきだと主張し始めている。海産哺乳類の食物として漁獲高のパーセンテージを設定し、物理的な海洋環境への影響を回避する目的があることは明らかである。
遊漁団体は、とくにはえ縄やトロールなどの商業的な漁具の禁止を目的として、このような運動の多くを支持してきた。しかし、最近になって、商業団体による保護海域の拡大阻止活動にスポーツフィッシング団体が加わり始めた。

最近のいくつかの論争について、要約を添付する。

商業漁業に関する最近の規制
  • 1988年、テキサス‐刺し網禁止法が可決され、異議申立て後も存続する。
  • 1989年、カリフォルニア‐発議132、海岸線3マイル水域内での刺し網漁業禁止法案が可決される。
  • 1989年、ニュージャージー‐遊漁業者の要求を受け、同州水域の40パーセントでニシンのまき網漁業を禁止する。
  • 1992年、オレゴン‐コロンビア川におけるすべてのサケの優先的な漁業権を求めて活発な運動を展開したスポーツフィッシング団体に対し、同州議会は要求を否決する。
  • 1994年、フロリダ‐フロリダ水域における巻き網の全面禁止と沿岸部への大型網の移動を求めた州法改正案が、有権者のレファレンダムによって可決される。海岸線保全協会およびフロリダ・スポーツマン誌は、全面禁止運動の先鋒をつとめた。年間平均水揚げは5200万ポンドから1800万ポンドに落ち込んだ。年間平均漁船隻数も、22万6千隻から9万7,194隻に減少した。
  • 1993年、ミシシッピ‐同州海洋資源部は、スポーツフィッシング団体による刺し網漁業規制の申立てを却下した。
  • 1994年、マサチューセッツ‐大西洋シマスズキの商業漁獲禁止の申立てが却下された。
  • 1994年、ルイジアナ‐同州議会は、網禁止法案を可決する。
  • 1994年、ペンシルベニア‐ペンシルベニア州は、同州における刺し網漁業を禁止する。
  • 1995年、ワシントン‐「サケを救おう」(I‐640)という反漁業レファレンダムによって、水産業界は98万ドルと4万人時を費やし敗訴した。
  • 1996年、アラスカ‐1996年にアラスカでF.I.S.H(サケ漁業の公平性)という反商業漁業訴訟が起こされ、スポーツフィッシングや遊漁に対して優先的な割り当てとして同州のサケ漁獲高の5パーセントが配分された。
  • 1996年、カリフォルニア‐マリブでは、海浜27マイルのうち3マイル水域内での商業漁業が禁止される。
  • 1996年、バージニア‐議会に対するチェサピーク湾におけるまき網漁具禁止提案が否決される。
  • 1998年、全米‐ジム・サクストン下院議員が大西洋シマスズキの商業的販売の禁止を提案する。
  • 1997年、ワシントン‐1994年から1997年にかけて、総額約25万ドルを費やして調査が実施され、ピュージェット湾において保護種の海鳥を捕獲せずにサケを漁獲する方法が開発された。
  • 1997年、サウスカロライナ‐チャールストンにおけるドッグの使用をめぐって流し網漁業禁止案が可決され、「メカジキにチャンスを与えよう」運動に発展した。
  • 1998年、フロリダ‐同州州法を改正し、同州のすべての魚類、野生生物の管理について選択的な取締りを廃止することにより、海洋資源管理省庁を統合する。
  • 1998年、アラスカ‐1998年にグレイシャー湾国立公園における商業取引を禁止する。
  • 1998年、ニュージャージー‐同州水域におけるイワシのまき網漁業禁止法案が提出される。
  • 1998年、全米‐1月に「メカジキにチャンスを与えよう」運動による消費者ボイコットが開始される。
  • 1999年、ワシントン‐「網反対」運動(I‐695)によって、水産業界は52万ドル、1万2千人時を費やし敗訴する。
  • 1999年、ノースカロライナ‐1999年、内海における刺し網漁業が禁止される。
  • 1999年、ハワイ‐ウミガメの混獲に対し、流し網漁業の禁止を求めて訴えが起こされる。
  • 1999年、フロリダ‐商業漁船のドッグ入出に対し、自宅所有者協会が郡の禁止を獲得する。
  • 1999年、全米‐ジョエル・ハフリー下院議員がトロール禁止法案を提出する。
  • 2000年、アラスカ‐保護種のアシカ(トド)に影響を及ぼすという主張により、アラスカのセイス漁業禁止の訴えが勝訴する。
  • 2000年、テキサス‐沿岸水域におけるエビ漁が禁止される。
  • 2001年、ハワイ‐保護海域が設定される。