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大日本水産会
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大水ニュースレター
第705号

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関係者400名が出席し、内村さんを偲ぶ会

昨年7月に逝去した内村良英元大水会長を偲ぶ会が6月30日午後、大水、中央競馬会など関係10団体により水産関係はじめ各方面の関係者約400名が出席し執り行なわれた。

偲ぶ会では冒頭出席者全員が内村氏の遺影に献花し、次いで澤邉守元中央競馬会理事長が代表挨拶し「内村氏さんは人一倍人間関係を大事にしたので、この会合を喜んでいよう。昨年の葬儀の時は急で何か心残りだったが、関係の多くの方々から一周忌に追悼集の刊行と偲ぶ会をもちたいとの声があり、農水関係10団体が準備して本日に至った」と前置きし、「内村さんは日ソ漁業交渉、200海里対策など国際関係で多くの仕事をしてきた。その中で経済社会の大きな動きを敏感に察知するなど先見性に優れ、既存の枠組みに拘らず斬新なアイデアを持ち合わせ、積極的な改革志向も強かった。生粋の都会人ではあったが、農山漁村の現場に対する思い入れも人一倍強く、現場から問題点を拾い上げ、対策を考えた。人柄も明るく開放的でさっぱりした性格で、他人に優しく、部下からも慕われた。御家族から、昨年病床で"思い残すことはない"と語った聞いており、大往生だったといえる」と内村氏の想い出を語った。

このあと黙祷を行い、生前内村氏と親しかった中野和仁元農漁公庫総裁、米澤邦男自然資源保全協会理事長、小島正興農林中央金庫監事の3氏と急遽駆けつけた河野洋平衆院議長が追悼の言葉を述べた。

中野氏は「彼は農林省の食糧管理局に入った直後の出張報告で、米の供出割当をするなら農家保有米の確保を前提にせよと主張し、それが上司に認められたと聞いている。仕事は着想が鮮やかで、行動力もあり、判断も的確だった」と、若い頃の仕事振りを振返った。河野議長は「初めて会った時姿、形があまりにスマートだったので外務省の役人だと思った。競馬界での改革は色々あるが、種牡馬の生産者対策を第一に考え、さらに馬の売買をオープンにした点も大きな功績で、今年はディープインパクトという立派な馬も出てきた。こうした内村さんの指導で、今後芽を出し花を咲かせる下地をつくってもらったと感謝している」と、功績を称えた。

米澤氏は「私が理事長をしている自然資源保全協会(GGT)は、1993年に内村さんが中心になって設立された。当時は、国際的に荒れ狂う欧米の極端な動物愛護運動、それは反漁業運動でもあるわけで、こうした組織に対抗する組織が必要で、それには日本からの発信がなければ世界は動かないとしてGGTを設立した。いずれにしても大水会長時代は長官時代を加え内村時代とも言える大きな功績を残した」と結んだ。

次いで小島氏の挨拶を経て亀長友義元大水会長・元参院議員の音頭で献杯し、最後に内村家を代表して長男の良根氏が「父の死後1年がたち、本日皆様にこのように集まっていただき、父も喜んでいる。有難うございました」と挨拶し、偲ぶ会を終えた。

出席者には内村氏の想い出を綴った追悼集「内村さん−良識と英知の人」が贈呈された。この追悼集は頁数334頁で、内村さんとともに仕事をしたり付き合いのあった外国人3名を含む75名の追想文、昨年7月7日に行なわれた告別式での亀井善之農水大臣、高橋政行中央競馬会理事長、中須勇雄大水会長(役職はいずれも当時)、友人代表・小沼勇氏の4名の弔辞、内村さんの遺文を取りまとめている。

追想文は大河原太一郎元農水大臣、河野洋平衆院議長、志水廣典(株)極洋顧問、稲垣元宣捕鯨協会顧問らが執筆しており、このほか自然塾開設の際内村さんが応援した小野田寛郎・町枝夫妻、作家で元競馬紙記者の吉永みち子氏らも想い出を綴っている。外国人では曲銘中国水産協会名誉理事長らが執筆している。